小説 クラブハウスの恋人 4
降り立った山口の宇部空港は閑散としていて、山口名物ののぼりが土産物屋にたなびいていた。わたしは山口市行きのバスに乗り込んで、流れる車窓をぼんやりと見ていた。東日本で育った私の目には、西日本の景色は不思議に感じる。はっきりとは言えないけど、山の形も違うし、木の種類も草の生え方も違うから流れる景色の色が違う。全く景色が違って見える。
バスは山口市に入り、だだっ広い公園の「維新百年記念公園」を過ぎて、さびれた風情の湯田温泉に付いた。YCAMまではすぐそこ。私はバスを降りるとホテルにチェックインした。一泊六千円の、味も素っ気もないビジネスホテルだ。ルームキーは真っ青なアクリルに部屋番号が刻印されていてチェーンで鍵がついているやつで、カードキーに慣れた身にはむしろ新鮮だった。ラウンジの赤いベルベッドのソファの前にあるローテーブルには、鈍器になりそうなクリスタルの灰皿が置いてあった。赤黒い漆の龍の木彫像がテーブルの横で睨みをきかせていた。
ホテルからクラブハウスのルームを開いた。タイトルは「山口到着」。いつもの面々が集まって来て、AIリサーチャーのミレイちゃんが真っ先に口を開いた。
「どう?山口。」
「いい感じにひなびたホテルだよ。部屋にもデカイクリスタルの灰皿が置いてあるような感じ。そしてワイファイなどない」
「テザリングww仕事できるの?」
「まあやるよ…コロナで家にいるから容量全然使ってないし」
そこでガシャポンさんが入ってきた。
「お、着いたか」
同じ街に来てしまった。けど、クラブハウス越しで話すガシャポンさんがすぐ近くにいるという実感はすぐには沸かなかった。
「着いた着いた。YCAMで待ち合わせしよう」
と言ってみても、まだガシャポンさんがこの世に実在する実感はなかった。
「ついに対面かー。わたし、この部屋で実際に会った事ある人いないんだよね」と女IT社長のmidoが言った。
全然関係ないけど彼女は在原業平の子孫で、それを彼女が告白したときにはクラブハウスのルームが大騒ぎになった。「今天皇の子孫と喋ってるの?!」みたいに。
「おう了解。じゃ、30分後にな」
と言ってガシャポンさんは去った。私は全身が映る鏡で念入りに支度をして、YCAMの前にある公園に到着した。磯崎新による波を意識した特殊な構造を目の辺りにすると、ああ、山口に来たんだなあ、と思う。だんだん胸のドキドキが大きくなってきた。ついに会うんだ。本当にいるんだ。でも本当に来るのかな?来なかったらどうしよう?会ってみたらめちゃくちゃに怖い人で、全然別人みたいだったらどうしよう?
謎の心配に囚われ、いつものソシャゲ「ロマサガRS」を開いて集中しようとしたがどうしてもできない。頭の中がぐちゃぐちゃになりながらベンチに座ってウンウン唸っている私の前に、人影が現れた。
「エミコさん?」
顔を上げると、ガシャポンさんがいた。クラブハウスのアイコンを15年ぐらい加齢させた感じの。でもそれは紛れもなくガシャポンさんだった。ガシャポンさんは私の脳内で考えていたよりも細身で華奢だった。
「ガシャポンさん?!うわ!本物!本物?!まじ?!」
「本物に決まっとるやろが。なんかこうやって会ってみると変な感じやな」
顔を合わせて話してみると、初対面の人とは全く思えない、奇妙な親密さを感じた。もう10年来の友人のような。まるで中学校の同級生に再会したような。遠くにいても、ずっと昔から知っている、気心の知れたような感覚。もう2ヶ月近く毎日話しているんだから当然の話で、そんな人、家族でもいない。リアルの友人よりも、ずっと身近に感じた。
「目は閉じられるけど、耳は塞げない」
そんな言葉を思い出した。会う前にすごく緊張していたのに、一度言葉を交わしてみるとそんな気持ちはもうどこにもなかった。毎日クラブハウスで話しているのと全く変わらない、いつもの調子が戻ってきた。
「お前も物好きだなー。よく来るよこんなところ」
「山口はいいとこなんだよ!私、すごく好きなんだから」
好きは好きだが翌日の飛行機を取ってまで来る動機なんか一つしかない。
「俺、YCAMの図書館よく来るから。案内するわ」
ガシャポンさんと一緒にYCAMに入ると、大きな吹き抜けのホールがあった。中では地元の学生が勉強していたり、おしゃべりしていたり、思い思いの時間をすごしていた。
「ここの図書館は最高やねん」
図書館に入ってみると、高い吹き抜けの天井の広々とした空間の中に沢山の本があった。ガシャポンさんは毎週のように通っているそうで、私はガシャポンさんがこの空間の中で本を選ぶ姿を想像して、日頃の姿が知れたような気分になって嬉しくなった。
「すごいきれいなところだね」
「せやろ。そういえば友達に会うって言ってたやろ。挨拶せんでいいの」
そうだった。その言い訳を忘れていた。私はYCAMで滞在制作をしているアートグループ、BACKSPACE Productionsのメンバーに電話をかけた。
「今YCAM来てるんだけど」
「は?!なんで?!」
と電話の向こうの神田竜くんは言った。
「ちょっと待って、今比嘉さんに代わるわ」
と言うと、比嘉了くんが出て
「カクダさん何してんすか」
と言った。そりゃそうだ。明日から彼らの個展「無数の事情展 のコピー (5)」が始まる。コンセプトは「現在の俺達を表現するにあたって諸事情なんて言葉だと足りないーー」だ。私は比嘉くんに言った。
「来ちゃった♥」
「来ちゃった♥じゃないですよ。明日オープンだから今めちゃくちゃ忙しいんですけど。東京でいつでも会えるじゃないすか」
「まあそう言わずに!お願いだから!」
と無理矢理に約束をとりつけて、彼らが制作しているスタジオに押しかけた。中ではYCAMのスタッフの大脇理智くんや時里充くん、ナベタンらが忙しく働いていた。明日個展のオープンということで、一分一秒を争うような現場だ。とても声をかけられる雰囲気ではない。
「みんな忙しそうだけど大丈夫か、、?」
とガシャポンさんが私に囁き声で言った。わたしは力なく笑うしかなかった。この言い訳、やっぱり無理があったな。
「カクダさんマジでうけるwなんでいんのw」
と清水基くんが私の方に来て言った。
「ははは…みんなに会いたくて…いやー!!がんばってるね!!」
「この前会ったばっかじゃないすか。え?なんですか?お土産?銀のぶどう?めちゃくちゃ東京で買えるやつじゃないすか。俺いっつも食ってますよ」
「いいから!みんなで食べて!設営がんばってね!」
スタジオでは、基くんをはじめ比嘉くん、神田くん、羊くんたちメンバーがすごい形相でラップトップに向かってプログラムをしている。神田くんが「うああキャリブレーション結果が保存されてなかったうえにWindowsアップデートが来やがったあ!!!!!」と叫んだ。神田くんはそういう目に遭いがちという数奇な運命の人だ。その横で比嘉くんは「自販機で赤べこ(レッドブル)が売り切れた…」と呆然と立ち尽くしていた。基くんは「もう缶が開く音だけでレッドブルかレッドブルじゃないか判別できるようになったよ…」とつぶやいている…。間に合うのか…本当に…明日の…オープンに…。
私とガシャポンさんは逃げるようにスタジオのドアを閉めて外に出た。
「…あのさ」
ガシャポンさんが口を開いた。
「このために10万かけて来たわけ…?」
その問いは最もだ。誰もがそう言うと思う。東京でいつでも会えるメンバーにわざわざやって来る妙な女。もはやストーカー。私は焦って
「あはは!いやー想像以上に忙しかったね!ま、それじゃ観光案内してよ!」
と無理やり話題を変えた。
私とガシャポンさんは、それから湯田温泉の用水路沿いを散歩してとりとめもない話をした。湯田温泉にはサギがたくさんいる。用水路の中にも、生い茂る葦の大きなサギがいて、私たちの気配を感じると大きな翼を広げて飛び立っていった。
「あそこ見える?山のところ。あそこにな、サギが巣をつくっとんねん。たくさんおるやろ」
すぐ近くの山に、白い点がたくさんあるところがあった。そこがサギの巣らしい。きれいだろうな、と思った。たくさんの大きなサギがそれぞれの木々の上で羽を休めている、サギの寝所。
「あ、あれ見て。俺のお気に入りの看板。釣具屋やねんけどな、マスコットキャラが魚やねん。シルクハット被って、『楽しいよ!』って看板に書かれてるけど。食われるのはお前やろって思わん?」
「あはははは。ガシャポンさんてほんといっつも変なとこ見てるよね」
「いやあれは誰が見てもおかしいやろ。そうや、この前クラブハウスで話した人が山口にポケモンのマンホールあるっていうからそこ行こか」
そんなわけで、ガシャポンさんと訪ねたのは友達と忙しい挨拶をしただけのYCAMに、用水路、妙な魚の看板にポケモンのマンホール。山口の、何気ない日常の風景。その間もずっと気楽な会話のやり取りが続いて、ガシャポンさんが「あれ見て」というたびにその先には奇妙なものがあって、私はずっとゲラゲラ笑いっぱなしだった。
ガシャポンさんはやっぱり、ガシャポンさんだった。私は嬉しい気分で胸がいっぱいになっていた。一緒にいるだけで、やっぱりこの人って楽しいなあ。
ちょうど中原中也記念館の前を通る頃、ガシャポンさんが時計を見て言った。
「あ、7時や。俺、家でご飯食うから帰るわ」
はっきりとした約束をしていなかったとは言え、その言葉はかなりショックだった。え?夜ご飯一緒に食べてくれないの、、?!
「え?!あ?!そ?!そうなんだ?!」
「おかんに食材頼まれてんねん。早よ帰らんとどやされるわ」
「へー?!そう?!あ、明日は?明日は休みだよね?また案内してくれる?」
「おう、昼過ぎまで用事あるけど。その後なら空いてるから、連絡するわ」
まあ、ガシャポンさんにとって私ってそのくらいの存在なんだなあ。わかってはいたけどつらかった。
「うん!楽しみにしてる」
「ほなな。じゃまた、クラブハウスで」
そういうとガシャポンさんは去っていった。私は落胆するとともに、勝手な期待をしていた自分がすごく恥ずかしくなった。途方にくれていると、TwitterのDMでガシャポンさんからメッセージが来た。
「居酒屋のまるってとこがうまいで。おすすめ」
もう、お腹が音を立ててグーグーなるぐらい空腹だ。わたしはグーグルマップで「まる」を調べて、早速向かった。まるは湯田温泉の住宅街にある居酒屋。店内はざっくばらんな雰囲気で、同窓会が開かれていてにぎやかだった。私は一人でカウンターに座り、うつろな目をして日本酒を煽った。山口で飲む獺祭は安く旨い。タコにシマアジなんかの新鮮な刺身、シメサバ、鯵の南蛮漬け、どれもすごくおいしかったけど、一人で食べるご飯はものすごく寂しかった。でもまあしょうがない。勝手に決めて勝手に来たのは自分だし。
「じゃまた、クラブハウスで」
ガシャポンさんの別れ際の言葉が頭の中をぐるぐる回った。後ろの席では飲み会の人たちが楽しそうに思い出話に花を咲かせている。カウンターにぽつんと座ってているのは、思い込みだけで暴走してきて、一人で酒を煽っている惨めな女だ。
「明日、ちゃんと言おう。ガシャポンさんに、あなたに会いにきたんだって」
私は決意した。まるで軽い食事を終えると、ホテルに帰ってクラブハウスを開いた。そこにはまた、いつもの仲間がいた。
5に続く
※この小説はフィクションです。