小説 クラブハウスの恋人 3
「私、金曜に山口に行くから」
そう言うと、部屋にいるみんなが、一瞬ポカンとした後に爆笑した。私がガシャポンさんに会いに行くという意味が全くわかっていないからだ。私がガシャポンさんに思いを抱いているということは誰にも言っていなかった。いつもみんなが集まる部屋でしかガシャポンさんと話していなかったから。
「なんでだよ。お前本気かよ」
そう言ったのは博之。同郷で、常に冷静で理知的で、昔から私が訳のわからないことを言うと、鋭いツッコミをしてくれる頼もしい存在だ。
「すごい勢いで行くな。なんでそんなに急なんだよ」
そう言ったのは四日市。異常にサブカルに詳しくて膨大な知識を持つプログラマ。誰とでも会話が成立するおしゃべり上手だ。
「えー何しに行くんですか?」
そう言ったのはのんちゃん。タイBLドラマが大好きで、いつも良質なタイBL情報を教えてくれる。しっかりとした倫理観を持つ、この動物園のようなルームでは珍しい存在。
「いいんじゃないですかー?山口って瓦そばとかあるでしょ。あれ俺好きなんスよね」
そういったのはモリウラ。美大を中退して今は代々木八幡でDJをやりながらバーを経営している、おしゃべり大魔神だ。脊髄反射で適当なことを喋る。
「山口にあるパワースポット教えるよー」
と、デザイナーのムートン嬢がのんきに言う。ムートン嬢はスピの達人なので、ちょっと聞いてみたくなったけどやめといた。
「何もないけどいいとこだよね、山口は」
と、北海道に住んでいるYOMEIちゃんが言った。
とりあえず、みんなに「私がガシャポンさんに会いたいあまりに突然山口に行く」ということはわからないようだった。
同様に、当のガシャポンさんといえば、
「え?なんで?」
と、ごくまっとうな反応が帰ってきた。そりゃそうだ。金曜が有給だからといって、木曜に思い立って山口に行くやつなんかいない。私は適当な理由をでっちあげた。
「山口にYCAMっていう施設があってさ。そこで友達が滞在制作してるから、それを見に行く」
YCAMというのは山口市にあるアートセンター。展示空間のほかに、映画館、図書館、ラボ、ワークショップ・スペースなどが併設している。特にメディア・テクノロジーを用いた新しい表現の探求を軸に活動しており、展覧会や公演、映画上映、子ども向けのワークショップなど、多彩なイベントを開催している。そこで、たまたま友人がメディアアート作品制作のために滞在していたのだ。それを、山口に行く理由にした。私はガシャポンさんに言った。
「友達が山口にいるからさ、行くから。よろしく!」
そう言うとガシャポンさんは
「ふーん、そうなんだ」
と言った。
「お前急すぎんだろ」
と博之が全うなツッコミを入れた。
「いや絶対行きたいんだもん。絶対行く。決めたんだもん」
「YCAMかあ、メディアアートの聖地ですよね。いいなあ、俺も行ってみたい」
と四日市が言った。
「でしょー。すごくいいとこなんだよ」
と私は答えた。
私が山口に飛ぶのはガシャポンさんに会うためだけで、実は滞在制作なんかどうでもよかった。そこでトラベルコちゃんにアクセスして、明日のチケットを取った。往復6万円。滞在費を入れれば、10万円はくだらない。
「あのさ、ガシャポンさん、明日って空いてる?」
「空いてるけど」
「じゃ、決まり!案内してくれる?」
「あー、いいよ」
私はそう言うのを確かめるやいなや、電光石火でANAのチケットボタンを押した。
「ふーん、そうなんだ」
と言っただけの人間に会いに行くというリスク、10万円という金額のリスクを私が背負うのはもうしょうがない。もう最悪、あえなくてもいい。それでも、ガシャポンさんにどうしても会って話してみたいという気持ちだけでチケットを取った。
その後。
クラブハウスは便利なところで、「明日に山口に行くんだけどどこにいいか教えて」という部屋をとりあえず立ててみた。そうすると、たくさんの人が集まってきた。山口で器を作っている人。福岡で絣を作っている職人。イチゴ農家をやっている人。山口にいて、「私の先輩の店に行って下さい!すごく美味しいピザ焼いてるんで!」と言ってくれる人。
その人たちのおかげで、山口マップができた。行くべき所、見るべき所。オシャレなカフェに、萩っていう焼き物の街があること。ガシャポンさんはずっとその部屋にいたので、そういう観光情報を集めるのを聞いて、「よくわかんないけどこいつは山口に用事があるんだろう」と思ってしまったらしい。それは私の本意ではなかったが、とにかくわたしは実物のガシャポンさんに会いたい一心だった。
「ふーん、じゃあ会えたら会おう」
そこで私は、出発する日の朝、在外邦人の部屋を開いた。在外邦人の皆さんはすごく優しくて、何千キロも離れているのに、まるで親友のように話してくれる。みんなにももちろん会ったことはない。それでも、誰かに何かが起こったら全力で解決しよう、誰かの喜びはみんなの喜びで、誰かの悲しみはみんなの悲しみ、という絆みたいなものがクラブハウスで生まれていた。そこで、「好きなひとに会いに山口に行くんだけどどうしよう」と相談した。
ロンドンのアーティスト、YOさんは言った。
「は?!いつの間に?!!」
エディンバラのえいこちゃんはこう言った。
「行きたいなら行けばいいんじゃない?でもお土産どうする?」
ノリッジのシュンキチさんは
「いつの間にそんなことが起こっていたのかー」
とつぶやいた。
ウェールズに住むオガさんは
「え?なんか山口って旨いもんがあるんですか?」
と言った。状況を全然わかっていない。その天然ぶりがオガさんだ。
「山口ですか、ネットが弱そうですね」
とリーズに住むギークのカズが言った。
ニューヨークのみやこちゃんは
「えー、私相手の人を知らないからいいんじゃない?ねえ、どんな人なの?」
と言った。
ドイツに住むナカハラさん、マミさんは口をそろえて
「山口かー。あれだよね、漁港があるから魚が旨い」
と言った。たしかに山口は魚が旨い。在外邦人はとにかく日本の食べ物を見せるだけで発狂するほど食いついてくる。
私は、
「クラブハウスでしか喋ったことがないの。でもすごく引力を感じるの。素敵な人なんだ。だから、会いにいくの」
と言った。
「ストーカーかwww」
「行動力www」
「え、本気で? ちょっと一晩考えたほうがいいんじゃない?」
誰もが私を狂人扱いした。といっても、みんなゲラゲラ笑っていて雰囲気は和やかなものだけど。そこがクラブハウスのいいところ。まあ、明日休みだからといって、山口に行く女なんかいないだろう。それでも、どうしてもガシャポンさんに会いたかった。会ったらどんな気持ちになるのか、そして一緒にいたらどんなに幸せな気分になるだろうか、そんなことしか頭になかった。
「来るなら案内するよ」
ガシャポンさんのその言葉を信じて、私は山口に飛び立った。次の日、私は羽田空港に行って、ラウンジであらかたの仕事を片付けた、その2時間後、私は山口にいた。ガシャポンさんのいる街、山口市に。
4に続く
※この小説はフィクションです。