クラブハウスの恋人 1
わたしの名前はカクダエミコ。宮城から東京に出てきて10年以上経つ。東京に来たのは雑誌の編集者になりたかったから。そう言うとみんな笑った。「絶対なれるわけない」とみんなが言った。
でもその10年後、私はライター、編集者として働いていた。日本中・世界中を駆け回って、みんなが憧れるファッション雑誌で名前を冠した連載をし、ファッションページを編集した。本を3冊出した。「カクダさんですよね、知ってます」と声をかけられることもあった。
でも、何の感慨もなかった。仙台にいた頃、あんなに憧れていた職業について、フリーランスでたくさんの大きな会社と同時並行で仕事をして、あの頃からしたら夢物語みたいな生活を送っているのに、何の喜びも感じられなかった。ただ日々の忙しさに追われて土日も平日も休みはなくて、どこで誰といる時も次の仕事のことを考えていた。
疲れが溜まってどうしようもなくなると、ホテルに籠もったり、海外に行ったりした。ホテルに缶詰になって原稿を書いた。海外はニューヨークだったり、ロサンゼルスだったりして。山程の仕事を抱えて、毎日原稿を書いていた。なんでニューヨークで福島の郷土料理についての原稿を書いているのか自分でも不思議だと思いながら、メールで原稿を送ると街に出て、美術館を巡ったりライブを見に行ったりした。
そうした生活が何年も続いた。たまたま、ニューヨークにいた時に、お気に入りのコーヒー屋さん(ガソリン・アレイ・コーヒー Gasoline Alley Coffee)で大好きなアツアツのアメリカーノを飲んでいた。ふと携帯を見ると、親からメールが来ていた。メールを開くと、「おばあちゃんが死んだ」と書いてあった。すぐに電話して「どうしよう、帰らなくちゃ」と言うと、「もう死んだものは死んだ。帰ってこなくていい」と言われた。
私がヘラヘラ遊んでいるうちに大好きなおばあちゃんが死んだ。もう、何のために仕事をしているのかわからなくなった。これがもしお母さんだったらどうしよう。私は海外にいて、彼女の命が途絶える時に側にいられなかったら。
私は日本に帰ると、おばあちゃんのお墓に行った。おばあちゃんにかける言葉もなかった。ただただ不甲斐なかった。優しくて美味しいご飯をたくさん出してくれて、プロレスを楽しそうに見ていて、遊びにいくたびに少ない年金からびっくりするようなお小遣いをくれたおばあちゃん。いつか恩返しをしようと思っていたのに、「いつか」は来なくて、私が遊んでいる間に二度と会えなくなった。
今、私は東京でアメリカの会社の日本支社で働きながら副業でライターをしている。そしてたくさんの友達がいて、会社の仲間もたくさんいて、働いた後は取材に行ったり、友達と飲みに行ったり、キャンプに行ってゲラゲラ笑う毎日を過ごしていた。
そんな毎日を壊したのがコロナだった。コロナは私に出社するなと言った。もう会社の仲間にも会えない。友達にも会えない。目黒の一人暮らしのマンションはガランとしていて、オンラインミーティングがない日には、声を出す機会なんて、コンビニで「袋いらないです」だけ、という日も少なくなかった。
窓の外に広がる目黒の街を見る。家族向けのマンションに、あたたかそうな明かりが灯っている。私といえば誰にも会えなくて、それでZOOMで飲み会をする「ZOOM飲み会」というのもやってみたんだけど、自分の姿が相手に絶えず見えていて、ずっとパソコンの前に座っていなければならないのがだんだん億劫になって、徐々に足が遠のいていった。
友達も会社の仲間も飲み会もイベントもない平坦な毎日は苦痛だった。そのうち映像を見るのも、音楽を聞くのも、本で字を追うのもどんどんつらくなっていった。そうすると、お酒を飲んで記憶を飛ばしてベッドにもぐりこむしかなかった。仕事をしていない時間はただお酒を飲んで真っ白な頭でベッドから天井を見ていた。早く時間が過ぎないかと思って時計を見ても、5分も進んでいなかった。どんどん生きるのが嫌になってきた。
もしボーイフレンドがいたら。もし結婚していたら。家の中で他者とコミュニケーションができる環境にいたら、私の心はそれほど病まなかったかもしれない。しかし目黒の部屋には虫の気配すらなくて、私はまっくらなテレビの画面を見つめながらひたすらに意識を失うためだけに酒を飲んだ。
そうしてオフィスがシャットダウンして1年経った2021年2月。友達から連絡が来た。
「クラブハウスってアプリの招待枠があるんだけどやらない?」
クラブハウスというのはチャットアプリで、Twitterの音声版といったところ。ログインするとたくさんの人がいて、それぞれの部屋を立てておしゃべりをしている。私はそのどこにでもいって誰とでも喋った。まるでコロナ前の生活が戻ってきたようだった。誰かと話していると孤独を忘れた。「自分ではない誰か」のぬくもりをクラブハウスでは感じることができた。TwitterやFacebookなどの文字コミュニケーションでは伝わらないその人の「人間性」に、すごく近くで触れることができるようだった。
すぐにわたしはクラブハウスに夢中になった。そこにはたくさんの人がいた。10年以上会っていない友人、憧れの有名人、文字チャットだけでコミュニケーションしている友人。声、話し方、話す内容、会話のテンポや切り返し。そこに人間性がほとんど全部現れていて、一人の部屋がボールルームになったようだった。
そうやっていつものようにクラブハウスで友人と話しているうちに、私はある人に出会った。今まで会ったことがないようなタイプの人だった。そしてその人は後々、わたしにとってものすごく特別な人になるのだった。
2に続く
※この小説はフィクションです。