クラブハウスの恋人 2(改)
東京には何でもあるけど何にもない。それを教えてくれたのがコロナだった。平日は朝9時になったら仕事のためにパソコンを開いて、18時になったら閉じて仕事はおしまい。そしてやってくるのは長過ぎる夜。
東京に今まであったもの。それは、好きなミュージシャンが演奏するライブハウス、仲間と着飾って週末に行くクラブ、複雑な味わいの繊細な料理を出してくれるレストラン、お気に入りの老舗和食屋に柔らかくてジューシーなお肉を頬張れる焼肉屋、仲間とワイワイ集まる居酒屋に、カフェも付いてる大きな大きな本屋。最新の洋画がたくさん公開されて、いつでも見られる映画館。最先端の洋服屋。何時間も時間を潰せるデパート。
それらを東京から全部無くしたら、後に残ったのは空虚な灰色のからっぽの世界だった。あんなに憧れていた東京だったのに、どうしてここにいるのかもわからなくなった。
2021年2月に日本で話題を席巻したアプリ「クラブハウス」はその空虚を埋めてくれた。iPhoneユーザーにしか開放されていないにも関わらず、イベントでしか会えないような有名人がいたり、SNS上で見かけるけど実際に話したことはない人がいて、気軽に話すことができるのがものすごく楽しかった。まるで毎晩大規模なロックフェスティバルが、スマートフォンの中の小さなアプリで開催されているようだった。たくさんの人がいて、距離を気にせず、マスクもなく、大きな声で笑い会える世界。
私たちの腕の中から、それらの喜びは既に失われ忘れ去られていた。このクソみたいな生活は何なんだろう。外に行くには息苦しいマスクをしなくちゃいけないし、電車の中でもエレベーターの中でも人と喋っちゃだめ。友達と気軽にお茶もできないし、宮城の両親にも1年間会えずにいる。
ただ孤独感が募るばかりで、あの楽しい日々はもう二度と取り戻せないのだろうと絶望している中で、クラブハウスだけが心の支えだった。そこに行けば、いつも誰かがいる。Twitterの文字面だけでしか知らない人とも、一度話すと親友のように話すことができた。切望していた誰かとの繋がりがもう一度手の中に戻ってきたようだった。
私ははしゃぎまくって、ファンがひしめくO教授の部屋に入って「Oさん久しぶりー!!」と叫んで「他の人の話が聞きたいからお前は黙れ」とファンからDMを送られたり、管理人から「夜中の電話の声がうるさいと苦情が来ている」と起こられたりした。ちなみに家で10人規模のパーティを何度もやっているけれど、一度も苦情が来たことはないので私の絶叫・発狂ぶりがわかっていただけるだろう。気がつけばいつもクラブハウスを開いてそこにいる人達と話すようになっていた。
会話に合わせて自分のアイコンを変えてみんなを笑わせるアイコン芸、キーワードを知っている人から答えを引き出して、アイコンで表現する音声版人狼のワードウルフ、そこはかとなくエロいようなエロくないような言葉をつなげるエロしりとり。クラブハウスの中で、毎日のように新しい遊びが生まれて、高校生みたいにゲラゲラ笑った。
そのうち、昔からの友達よりもクラブハウス上で出会って毎日一緒に話す人の方が身近な存在になっていった。
「遠くの親戚より近くの他人」って言葉の通り、
実際に会ったことは無いけど毎日コミュニケーションしている人
の方が、
実際に会ったことはあるけどあまりコミュニケーションしていない人
よりも心の距離が近くなる。
朝起きて、仕事の前にクラブハウスを開くと、毎日おなじみのメンバーが集まるようになった。
そこにはいつも、ガシャポンさんがいた。
ガシャポンさんは去年まで大阪にいて、今は山口の実家に帰っている。ガシャポンという名前の通りおもちゃ関連の仕事をしていたのだけど、コロナの影響でいまは実家に帰っているということだった。
ガシャポンさんはいつも冷静で、優しい声で喋ってくれた。口数は少ないけど、ツッコミどころがあると必ず鋭いツッコミをしてくれた。一度ガシャポンさんが部屋から突然消えたことがあって、後で理由を聞いたら「○○さんが明らかにボケを連発しているのに誰もツッコミが追いついていないからイライラした。なんでみんな許しているのかわからなかった」と言っていたのがおかしかった。大阪の人なのであらゆるボケをバレーボールのレシーブのようにすくい上げなければイライラしてしまうらしい。そんな感じで、すごく頭が良くてスマートで、でもユーモアがあって、すごくチャーミングな人だった。
仲間たちと話しているうちに、どんどんガシャポンさんに興味が湧くようになってきた。クラブハウスを開いて、ガシャポンさんのアイコンがあるとすごく嬉しくなった。ガシャポンさんのアイコンは、なんばの街で遠い目をしている爽やかなポートレイトだった。その視線の先にはきっとガシャポンがあるんだろうなと思った。どこのゲーセンのガシャポンだろう。セガかラウンドワンか。
「なんばのラウンドワンにすごい男がおるから。」
ガシャポンさんは、いつもものすごく規則正しい生活をしていた。朝は7時に起きてタイヤ工場に仕事に出かける。体を酷使する仕事だから、ダイエットいらずらしい。コロナで酒を飲むようになってビール腹になった私からしてみればすごくうらやましかった。ガシャポンさんは7時に家に車で帰ってきて、帰り道にセブンイレブンに寄り、氷とハイボールを買う。
「なんでセブンで氷買うかって?セブンの氷はコクボ製やねん。同じ値段だったら美味しい方がええやろ」
ガシャポンさんはコンビニグルメには一家言あり、普段は無口なのに、コンビニグルメになるとおしゃべりが止まらなくなる。
「おつまみの鉄板は、タコとブロッコリーのバジルソースやな。あとは長芋の角切り。それにだし醤油をかけるのが鉄板や。ちっこいカップに入っとるねん。忘れたらあかんのは炙りしめ鯖やろ。その辺のスーパーで買うより旨いからな。乾きもんやったらしゃり蔵やな。亀田は超安牌。せんべい買うなら裏見て亀田製菓って書いてあったら間違いない。コンビニオリジナルの柿の種なんか、亀田のスーパーフレッシュにはぜってー勝てねえから。あとは薄焼きサラダせんべい。レモンサワーもビールもどっちもいける。100円で全然どっちもいける。迷ったら薄焼きサラダせんべい買っとけ。ただセブンには無いから気をつけろ。ま、それも亀田やけど」
どうしてそんなに会ったこともないガシャポンさんの生活に詳しくなったのかといえば、毎日、ずっと、クラブハウスで喋っていたからだ。
「それって○○らしいよ(らしいよ)(らしいよ)(らしいよ)(残響音含む)」
残響音が出るのはお風呂の中から話しているからだ。まるで神の声みたいで、みんなで笑った。
ガシャポンさんの生活のリズムも、住んでいるところも知っている。グーグルマップで見た。でも私はガシャポンさんの顔も知らない。一度も会ったことがない。声しか知らない。そして何百キロも離れたところに住んでいる。そんな人のことが、いつも頭から離れなくなった。時計を見ても、ガシャポンさんのことが思い浮かんだ。
「あ、もう9時半か。今頃ガシャポンさん、ロマサガRSしてるのかな」
ガシャポンさんが好きなものは私もやってみたい。そう思って、私もソシャゲの「ロマサガRS」を始めることにした。ロマサガRSはRPGからバトルシーンとレベル上げだけを抜き出したようなゲーム。RPGのレベル上げでとにかくコツコツ、チマチマと戦い続け、ひたすら自分のレベルを上げてあらゆる敵をオーバーキルすることに至上の喜びを感じる私には最高のゲームだった。ロマサガRSに熱中しているうちに、わたしはかつては持っていて、コロナ鬱によって失った「コンテンツを消費する喜び」が身体の中から湧き上がってくるのを感じた。
私はコロナで閉じ込められた暗い部屋から、クラブハウスを通していつのまにか明るい太陽の下にいた。暗い部屋から私を外に連れ出してくれたのはガシャポンさんだった。
いつものようにクラブハウスで仲間たちと話している時に、私はふと気がついた。
私、ガシャポンさんのことすごく好きだけど、そういえば一対一で話したことないな。
クラブハウスは立ち上げると仲間が集まるので、基本的に一対一では話さない。まるで学食のようにいつものみんながいて、その日あったこととか、グダグダの日本の政治とか、コロナとか、子供の頃の思い出とか、詮無いことを話す。だからガシャポンさんと本当の意味での対話をしたことがなかった。
ふとカレンダーを見た。木曜日だった。明日の金曜日が代休で会社を休む予定にしていたのを思い出した。私はおもむろに、クラブハウスでガシャポンさんに向かって言った。
「私、金曜に山口に行くから」
3につづく
※この小説はフィクションです。